集英社ビジネス書

試し読み

序章
「読書」はコスパが抜群!


読書しないともったいない!

「本を読もうよ」と言おうものなら、「また読書のススメ? そんなの聞き飽きた!」といううんざりしたリアクションが目に浮かびます。
 なぜなら、私は現役の塾講師。大学受験塾で中高生の国語を担当しているので、日々、10代の若者たちと接しています。もちろん「本が大好きです!」という生徒もいますが、「読書」と耳にしただけで敬遠ムードを漂わせる人がいることをリアルに体験しています。
「先生、自分は国語ができないんですが、本は日頃から読んだ方が良いですか?」と質問してきた生徒でさえ、私が「小説でもいいし、自分が興味のある分野の本でもいいし、何でもいいから週1冊、いや、月1冊から始めようよ」と答えると、「そうですよね……」と遠い目をしてしまうのです。そして、読まない。

 私が教えているのは、最難関大学を目指すような生徒たち。東京大学を目指している高校生の中にも、男女を問わず、「読書は苦手」「本は一切読まない」という人が意外なほど存在します。ただでさえ、学校に塾に忙しい高校生。「寝たい!」「友達と遊びたい!」「音楽を聴きたい!」という気持ちはよく分かるのですが……。
 そんな読書離れの状況を目の当たりにしていても、私はやはり声を大にして伝え続けたいと思います。高校生も、大人も、忙しい中でも本を読もうよ、時間がないからこそ、本を読もうよ、と。
 私の実感として、自己投資の中でも「読書」ほどコストパフォーマンスの高いものはそうありません。お金というコスト、時間というコスト、どちらから考えても、読書は効果が高いのです。勉強や仕事の基盤となる力を伸ばし、効率化を実現してくれるので、読書はかえって時間の捻出につながるとさえ思います。

 私自身、読書のおかげで、これまでにたくさんの素晴らしいものを手にしてきました。私は講演や研修を担当する際、よく次のように紹介されます。
「三重県四日市市出身。公立高校から塾や予備校を利用せずに、東京大学文科三類に現役合格、さらに教養学部超域文化科学科を学科首席で卒業……」

 この経歴がきっかけで、これまでに『東大生の超勉強法』(竢o版社)といった勉強術の本も出版しました。どんなふうに勉強したら、独学で、現役で東京大学に入れるのか? その点に多くの方が興味を持ってくださるようで、この本は版を重ね続けています。

 もちろん、この合格にはいくつもの要因があります。ただ、ひとつ確実に言えることは、大きく影響したのが「読書」だということです。本を習慣的に読むことで培われた力が、受験のいろいろな局面で私を強力にサポートしてくれたことは間違いありません。
 読書は単に国語の学力向上につながっただけでなく、読解力を高めることにより、全教科の問題文の理解力も上げ、参考書での独学も可能にしてくれました。
 さらに子どもの頃から分厚い本に挑戦し、読み切る経験を重ねてきたことは、「粘り強さ」「自信」「やり抜く力」を育ててくれたように思いますし、ずっと好きで本を読み続けてきたので、本は面白いというイメージが基本にあり、受験時も古文や世界史の参考書を読むのは楽しみで、1日に十数時間勉強していた時期も、「意欲」「好奇心」はずっと消えませんでした。
 読書は、学力も非認知能力も育ててくれるものだと思います。
 だから、私はいつも生徒たちに言うのです。
「読書しないと、もったいないよ!」と。


私を大きく「動かした」1冊の本

 子ども時代の私は、特別に文学少女だったというわけではありません(ですので、『まなの本棚』などで分かる、芦田愛菜さんの読書ラインナップと読書量には頭が下がります……)
 物語が好きで好きでたまらなかったというよりは、「他に楽しいこともないから、本でも読もうか」というのが、正直な読書の動機です。田舎の小・中学生が自力で出かけられる範囲にはたいした遊び場はありません。また、スマホもない時代、家では、1台のテレビのチャンネル争奪戦。夜遅くなって自室に入れば、テレビは見られません。じゃあ、本でも読むかな……という消極的な選択肢としての読書でした。
 ただ、新鮮な刺激を求める中、活字中毒だったのは確かだったようで、目に入る文字という文字を追う習性だけはありました。小学生の頃から食事中はよく調味料のラベルを読んでいたそうです。

 最初の「本」との出会いは、きっと多くの方がそうであるように、母による絵本の読み聞かせでした。ひとり立ちして絵本を読むようになり、その後は図書室・図書館で借りるなどして、当時子どもたちの間で流行っていた絵本や読み物、たとえば『エルマーのぼうけん』(ルース・スタイル・ガネット)、『ズッコケ三人組』シリーズ(那須正幹)などを読むようになりました。

 そんな中、小学校の高学年でしょうか、1冊の本に出会いました。

『少女パレアナ』(エレナ・ポーター)という本です。『赤毛のアン』(L・M・モンゴメリ)の翻訳で有名な村岡花子さんが訳されています。テレビアニメ『愛少女ポリアンナ物語』や絵本などにもなっているので、ご存じの方もいらっしゃると思いますが、簡単にストーリーを説明しておきます。

 早くにお母さんを亡くし、とうとうお父さんも亡くしてみなしごになってしまったパレアナは、叔母さんのおうちに引き取られることになりました。この叔母さんは、とても気難しくて、パレアナにもとても厳しく当たります。ですが、パレアナは亡くなったお父さんと、ひとつの約束をしていました。それは「喜びの遊び」というゲームをすること。これはいつでも、どんなときでも、すべてに喜びを見出そうとするものでした。大変なことがあっても、いつも喜びの遊びで乗り越える快活なパレアナの姿が、少しずつ周りを変えていきます。やがて、このゲームは町中に広がって、叔母さんも含めた町全体を明るく変えていきます。

 この話に、私は大変感動しました。当時、アニメ『アルプスの少女ハイジ』(ヨハンナ・シュピリ)もお気に入りだったので、元気な少女が周囲を明るく変える、という物語が好みだったのだと思います。そこで普通なら、単に子どもの頃に好きだった本ということで終わりそうなものですが、私はそれから折につけ、この本を読み返し、パレアナをさらに好きになり、影響を受けていきました。
 今でこそ、生徒から「吉田先生の授業を受けると元気になる」「いつも先生はパワフルですね」と言われるのですが、中学生の頃、私は学校生活が楽しくなく、塞(ふさ)ぎ込みがちでした。後ろ向きな考え方ばかりしていました。しかし、ふとしたタイミングでこの本を読み返し、パレアナの真似をして「喜びの遊び」を始めてみました。
 雨が降ったときには「濡れてしまうからイヤだなあ」ではなくて「お気に入りの傘が使えてうれしい!」。嫌いな人と同じクラスになってしまったときは、「うわあ、精神力が鍛えられるなあ!」。パレアナに負けじと、どんなことでもポジティブに切り替えました。そんなふうにゲームを続けるうちに、どんな状況の中からも喜びを見つけられるポジティブな考え方になっていったのです。
 心理学に詳しい人なら、これが「認知療法」になっていたのだとお気づきかもしれません。「認知療法」とは、人が成長する過程で身につけた、被害妄想などの「認知の歪(ゆが)み」を修正する心理療法のこと。元々悲観的に物事を解釈しがちだった私は、パレアナのおかげで、精神的な歪みを解消できたのです。子どもの頃は、そんな学問的なことは考えていませんでしたが……。
 大学生になってからも、社会人になってからも、私は『少女パレアナ』を人生の節目節目に読み返しています。新しい環境に向かうときなどに、パレアナの姿勢を思い出すことが、前に進む力になります。

 1冊の本には、人を変える力がある。

 そのことを私自身が実感し、読書にとても感謝しているからこそ、誰もがそういう1冊と出会えるといいな、と願うのです。


「読書」は、もっと自由なものだ!

「手始めに、どんな本から読めばいいですか?」

 国語講師をしていると、受講生からよく聞かれる質問のひとつです。そのたびに私は「好きな本を読んでください」と答えるのですが、相手にはキョトンとされてしまいます。きっと、「王道」「正統派」「正解」を答えてもらえると思っていたのでしょう。
 もちろん、私なりにおすすめの本はあります。本書でも、本文中で随時おすすめの本に言及しますし、各章末にもテーマ別に推薦書を挙げています。しかし、それは単に、私のおすすめ。万人にとって常に「正しい」選択ではありません。読書には正解はありません。

 ですから、「あの本は読んでおかないと恥ずかしい」とか「最低でもこれは読んでおかなくちゃ」という“呪い”から、まずは自由になりましょう。
 自分が気になる本を選ぶ。読みたいなと素直に思った本を読む。名作でなくても、文学史に残るような古典作品でなくても、まったく問題ありません。

「この本を読まなければ出会えなかった」――そういう言葉や世界観との出会い。日常生活にはいないキャラクターの登場人物との出会い。それらによって、自分の中の何かが動く。影響されて新たな行動が引き出される。思い出の意味づけが変わる。そうしたことこそが、読書の価値です。
 何冊読んだかも気にする必要はありません。それよりも心の動き、身体の動きの方がずっと大切です。

 読書に慣れてきて、自分が読みたい本を読み尽くしたとき、より広い世界に出会ったり、知らない分野を覗いたりしたくなるかもしれません。そのときには、道しるべとして、本書のおすすめを始め、様々な「読書案内」を活用するといいでしょう。

たとえば、

●憧れの著名人や友人がすすめる本
●各出版社が選ぶ「夏の100冊」などの書籍リスト
●文学史の年表に掲載されている作品
●世界や日本のベストセラー  など

参考にできる本のリストはたくさんあります。
 ただ、これらから読書生活をスタートしなくては、と思わないでください。意気込んで「リスト制覇!」なんて目標を掲げてしまうと、たいてい挫折(ざせつ)してしまいます。本は義務感で読むものではありません。他人に見栄を張るものでもありません。ただ、自分の心が動けばいい。身体が動けば、さらにいい。何を読むかよりも、あなた自身が何を得るかの方がずっと重要なのです。

 今、読みたい本を読みましょう。
 それが、そのときの唯一の「正解」です。


「スマホか本か」ではなく「スマホも本も」!

 現在の私は、国語講師という仕事を抜きにしても、まずまずの読書好きです。忙しい中でも、隙あらば本を読んでいますし、難解な本を読む息抜きには読みやすい本を読むこともあります。でも、だからといって、1日中読書ばかりしているわけではありません。

 よく読書と対比されるものにスマホがあります。
「最近の若者はスマホばかりいじって本を読まない」
「電車の中で昔は本を読む人が多かったけど、今はみんなスマホ」
と批判的に言われることが多いのです。
 こういうのを聞くと、スマホ好きな若者はうんざりしてしまうでしょう。説教臭い声から耳をふさぎ、さらにスマホに没入してしまうのもやむなしという気もします。
 こういう単純な二項対立は、あまり意味がありません。かえって害悪だとさえ思います。「スマホか本か」でなく、「スマホも本も」でいいではないですか。

 私も「スマホも本も」派です。スマホに触れている時間も結構長いと思います。
 タイムリーな情報収集には、ニュースサイトやSNSのチェックは欠かせません。Twitterの趣味アカウントもフル活用しています。ゲームは大好きでのめり込んでしまうだけに、最近控えていますが、育成系のアプリは入れて、たまに愛(め)でています。またいわゆる「芸人」さんの生き方が好きなので、カジサックの芸人対談回や講談の神田伯山さんのチャンネルなど、YouTubeもそれなりに見ています。
 でも、スマホををいじるばかりでは「時間を溶かしてしまった」と罪悪感に襲われるものです。そこで、私の場合は、耳をフル活用しています。動画の音声だけを聞いたり、ラジオを聴いたりして、耳を楽しませつつも、目は本を読むようにするのです。特に、バックグラウンド再生機能がある、つまり、他のアプリを動かしながら音声が聞けるアプリは重宝しています。満員電車で、本を取り出すのは難しいけれど、スマホなら出せる、というときはスマホのKindleアプリ(Amazonの電子書籍アプリ、専用端末がなくてもスマホにアプリを入れればOK)で本を読むようにもしています。
 頭を使うにも緩急が必要です。無心に動物の動画を眺める時間も必要です。ですから、全ての自由時間を読書に充(あ)てようなどとすすめるつもりはありません。でも、今それらの時間を全てスマホでのゲーム、SNS、ニュースや掲示板の閲覧に充てているとしたら、そのうち「10分」だけ読書に向けてみませんか、と提案したいのです。
 朝起きてからの10分、寝る前の10分、電車の中での10分。場所も時間もお好きなように。毎日、時間帯もバラバラで構いません。ただ、1日のうち「10分」は、本を読む。それだけのことで、1か月後、半年後、1年後、3年後……、あなたの未来は着実に変わります。
 かつて私が本で大きく人生を変えたように。
 それこそ、考え方が180度変わるような出会いもあるかもしれません。少しだけ考え方を改善してくれる本もあるでしょう。たとえ、それが成長グラフをほんの1度上向かせるだけの変化であったとしても、時が経てば、その影響は大きく表れるものです。
 有名な話ではありますが、
 1.01365=37.8
という数式があります。毎日1%だけ成長すれば、1年後には爆発的に成長していられるよ、という教訓です。10分読書はそんな成長を叶えてくれる習慣です。


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