集英社ビジネス書

試し読み

はじめに


2008年10月、ロンドン。曇り空の午後

 本書を書こうと思ったきっかけは、リーマン・ショックのさなかに体験した強烈な出来事にある。

 2008年のあの当時、世界的金融の中心地であったロンドンに僕は住んでいた。そこはナイツブリッジという高級住宅街で、ひとつ角を曲がれば、ロンドンを代表するようなブランドストリートが続いている場所だった。高級ブランドのショップが軒を連ねるきらびやかなその街は、いわゆる金持ち連中が暮らす、最も「安全な」エリアでもあった。

 事件が起きたのは、同年10月のある曇り空の午後のことだった。街を歩く僕の耳に、突然、乾いた銃声と人々の悲鳴が聞こえてきたのだ。いったい、何が起きたのかと近づいてみれば、通りの300m先には、血まみれで横たわる人々の姿がある。鳴り止まない銃声に倒れる者、散り散りに逃げ惑う者、わけもわからぬまま恐怖の叫び声を上げ続ける者。ロンドンで最も安全だったはずの街は、「ここはいったい、どこの戦場なのか」と思わせるような地獄絵図に一変したのだ。
 身の危険を感じてその場を立ち去った僕は、このとき、「通り魔が銃を乱射したのだろう」としか思っていなかった。

 翌朝、目覚めてみれば、あらゆるニュースのトップを飾っていたのは、やはりこの出来事だった。そして、僕の目には信じられない言葉が飛び込んできた。
「高級住宅街に住む法廷弁護士が、自宅の窓から銃を乱射した」と。

 件の弁護士は、金融業界に多くの友人を持つエリートであり、もちろん富裕層であった。普通に考えれば、銃を乱射することなどあり得ないアッパークラスの生活をしている層だ。

 しかし、彼はリーマン・ショック直後に、投資の失敗が原因で一夜にして全財産を失ったという。そして、高級レジデントの2階の窓から、通りを行く罪なき人々に向け、無差別に銃弾を浴びせ続けたのだ。

「金は人を狂わす」とはよく言うものだが、僕はあの日、あの場所で、まさに正気を失ってていくその姿をライブ中継のように見てしまったのである。


リーマン・ショック後、一瞬で街の空気が変わった

 この衝撃的な出来事があった2008年の秋から冬にかけて、ロンドンの風景は一変する。
 それまで、高級住宅街の路上には見たことのないような高級車がずらりと停められ、あたかもモーターショーのような光景が広がっていたが、リーマン・ショックの到来がショーに終わりを告げたかのように、それらの高級車はすべて質素な小型車や電気自動車へと姿を変えていった。
 一瞬にして空気が変わり、僕はその豹変のスピードにロンドナーの素晴らしさを感じていた。ご存知かもしれないが、「英国病」といわれるほど、長きにわたって"不況"という病を患っていたイギリスという国は、もともと「質素な暮らし」をすることに慣れている国でもある。そのため、リーマン・ショックによってバブル経済がはじけた後にも、イギリス人は何のためらいもなく、素早く質素な暮らしへと戻っていけるのだ。

 しかし、この変化についていけず、右往左往する人々もロンドンには多くいた。ロシアや中東などからやってきた新興財閥や移民たち。バブルで荒稼ぎし、派手に豪遊する 暮らしに慣れ切っていた、いわゆる成金層だ。
 彼らは、ひたすらパニックに陥った。それまでダイヤの埋め込まれた1000万円もする携帯電話を見せびらかしていた連中は、この急激な変化の波に呑み込まれ、僕の前から次々と姿を消していった。なにしろ、街中の空気が一変し、昨日まではプレミア価格で手に入れていたような高額ブランド商品が、今日は7割引きで叩き売りされているような状況だったのだ。いつもならクリスマスの終わりまで行われないセールが1カ月近くも前倒しになり、3カ月先まで予約の取れなかった高級レストランではキャンセルが相次ぎ、そして、わずか数カ月の間に閉店に追い込まれた有名店も少なくなかった。2007年に1ポンド250円近かったポンドと円の為替相場は、約1年で半分近くまで下落したのだ。

 この時期、僕はニューヨークのグランドセントラル駅構内に、液晶モニターのクリスマスツリーを作る仕事を手がけていた。奇しくも、金融の中心であり、震源地であるふたつの街、ニューヨークとロンドンを往復する生活をし、同じように変化していく街の様子を目の当たりにすることになる。

 ニューヨークの街中では、「バーニーズ」などの高級デパートが真冬にもかかわらず、なぜか海水パンツを叩き売りしている不可思議な光景に出合った。ロンドンのデパート「ハロッズ」でも3シーズン前の在庫まで持ち出して叩き売りをしていたが、どちらも一気にすべて売りさばいてしまわねばという危機感を持っていることが透けて見えたのだ。このような光景は、数カ月前には誰も想像だにしなかったろう。
「我々が疑いもせずに信じてきた社会システムや資本主義は、いつか必ず崩壊する」。
僕はこのとき、それを肌で実感したのだった。


イギリス人の"質素な暮らし"に目覚めた

 ロンドンに戻った僕は、イギリス人から質素な暮らしを学んだ。本物のイギリス人は、余裕のある者でも、必要以上に高い高級スーパーで野菜を買うようなことは決してない。
地元の公園で開催されるファーマーズ・マーケットなどで、おいしくて新鮮で安全な野菜を生産者から「安く」購入することが当たり前なのだ。高級スーパーで見かけるのは、 外国人や成金層ばかりだということに、そのとき初めて僕は気づいた。
 当時、「高給取りの外国人クリエイター」というポジションにあった僕は、イギリスの一般市民より、むしろ派手に豪遊する成金外国人と交流する機会が多かったが、ここから僕は完全にイギリス流の質素な暮らしというものに目覚めていくことになる。

 日本のバブル崩壊とともにクリエイターとして伸びてきた僕は、もともと不況には強いタイプだと実感していた。
 学生時代はバブルの真っただ中にあり、青田買いを狙ういくつものマスコミや広告代理店から引きも切らない誘いと接待を受け続ける日々を過ごした。誰もがそんな時代であったし、僕の場合は学生ながら(時には隠しながら)、映像製作やライターの仕事を引き受け、自分の作品が賞を取るなどもしていたためか、"将来有望な学生"という扱いで、接待攻勢も激しさを増していくばかりだった。当時から就職する気などは更々なかったが、毎日のように企業から高級レストランに連れ出され、バラまかれたタクシーチケットを使って、仲間と一緒にスキー場まで出かけることもあった。「面白い話をしてくれたら10万円払う」「100万円出すから、どこか好きな外国に出かけて数ページの記事を書いてほしい」と言われる日々が続いていた。
 湯水のように金をバラまき、誰もが浮かれていた狂乱の時代を経た後、バブル崩壊が訪れる。それまで派手に暮らしていた上の世代はどんどん淘汰されていき、おかげで、すぐ下にいた僕らの世代が、若くしてそのポジションに押し上げられていった。つまり、僕はこのときすでに、バブルに踊らされ、ハジけていった人々の一部始終を目にしていたのだ。

「景気がいいときこそ、おとなしくしていたほうが賢い」
 リーマン・ショック以降のイギリスの様相は、学生時代に肌で感じたことを再確認させてくれた。リーマン・ショック以降、僕はいわゆる質実剛健な「オーガニック」とい う文化に目覚め、イギリス人のオーガニックな生き方を学ぶことになる。それは"食"だけではなく、人間の生活すべてにおける新しい考え方であり、ひとつの革命であった。 このあたりは、自著『オーガニック革命』(集英社新書)に書いているので、興味があれば一読いただければ幸いだ。

 僕はそれまでのバブルに染まりそうだった考え方を一層改め、ロンドンに引っ越す際に減らした荷物を、さらに減らすに至った。シーズンごとに100万も200万もかけて流行の服を手に入れ、夜な夜な派手にパーティを回るような暮らしとは一切手を切った。あの銃声が、まるで新しい生活のスタートの合図だったかのように。

 それと同時に、「我々が信じてきた"社会"などというものは、すぐに崩れ去るものであり、資本主義もいつか必ず崩壊する」と深く考えるようになった。日本のバブル崩壊はジワジワとやってきたが、イギリスではまさに青天の霹靂だった。"そのとき"は、突然やって来る。僕はそれを実感し、以来、国家や社会システムというものがどのように破綻していくのかに興味を持つようになっていく。


スペイン移住で、不動産バブルの崩壊を目撃

 2009年2月、僕はスペインに住まいを移した。そこにもまた、追いかけるようにリーマン・ショックの余波がやってきた。いわゆる"ユーロ危機"だ。ギリシャをはじめ、スペイン、イタリア、ポルトガル、アイルランドといった、「世界金融危機を自力では乗り越えられない」とされる国々は、その頭文字から"PIIGS"と呼ばれ、経済危機の連鎖を引き起こす可能性があると今も懸念されている。

 スペインでは2004年から2009年にかけて不動産バブルが続いていた。抜群の景色と気候のよさを誇るこの観光大国には多くの外国人観光客が訪れ、その中でもとりわけドイツ人の姿が目立っていた。押し寄せるドイツ人観光客のために、彼ら専用の空港ターミナルが作られ、ドイツ人向けホテルばかりを擁する村ができ、ドイツ資本のスーパーマーケットなども次々と上陸した。不動産業界はそうした施設に投資し、それをドイツ人が買い漁るため、街には新しい建物がどんどん建設されていった。バブルに沸いたスペインでは常に建築家が足りない状況で、わずか5年間で建築家の数が3〜4倍にも増え、大学の建築学科も過去の5倍にまで新設されたほどであった。

 そこへ、突然のユーロ危機。バブルはあえなく崩壊し、僕は25年前に東京で見たものと同じ光景を目撃することになる。不動産は大暴落し、ホテルやスーパーマーケットはどんどん潰れ、そこに勤めていたスペイン人たちは職を失っていった。
 この時期からスペインの若者の失業率はうなぎ上りに上昇し、やがて50%を超えることになる。もともとスペイン人は働くことが好きではないため、失業率が10%を上回る状態には慣れ切っている。しかし、20 代の失業率が50%を超えるのは、前代未聞の異常な数字であることに間違いはないだろう。

 とはいえ、スペイン人というものは、イギリス人よりさらに逞しく、"質素な暮らし"をすることに非常に慣れた国民でもある。スペイン人は、なにより"過剰"であることを嫌う。これまで多くの国を訪ね歩いてきた僕が、「先進国でありながらこんなにもお金を使わない人々は初めてだ」と感じるほどに。

 スペイン人は、スターバックスにもマクドナルドにも自分の金を落とすことはない。
当時、この国で会社を興したばかりの僕は、法律家やITに従事する裕福な層はもちろん、街のクラブで出会ったDJや一般的な若者まで、さまざまな人との付き合いがあったが、その誰もが「数百円もするまずいコーヒーを飲む理由がわからない」と、口をそろえてスターバックスに行く人を評していた。特別うまいわけでもないコーヒーに高い金を払うなんてどうかしている。それなら、名も無い街のコーヒースタンドで120円のおいしいコーヒーを飲む、というのだ。

 バルセロナの多くのクラブは、入場料が基本的にゼロで、飲まずに踊るだけ踊って帰る者もいる。スーパーには一本たった60円のビールが並んでいるため、それを数本手に入れて公園で朝まで飲み明かし、ひと晩を数百円で遊ぶ者も多く、しかし皆、QOL(クオリティ・オブ・ライフ)と呼ぶ「生活の質」を豊かにすることを真剣に考えていた。金銭的に裕福なことが、決して幸せではない。スペイン人は、歴史を通じ、それを心底理解していた。
 また、スペイン人はイギリス人同様に質素な暮らしに慣れているが、ただひとつ、違いがある。それは、「質素ではあるが、地味ではない」というところだろう。おいしいものが本当に好きで、遊ぶことも大好きで、我慢など決してしないQOLを求める姿勢。
僕はこのスペインという国で、そうした新しい暮らし方を学んでいくことになる。


スペイン人に学んだ"適正価格"と"生き延びるヒント"

 スペイン人は本当にうまいものを知っている。食料自給率100%以上を誇るこの国では、食べるものに困ることはない。彼らはすべからく料理上手であり、また、地元の人々が集う安くてうまい店が数多くあるため、食を楽しむには事欠かない。高価なレストランは、スターバックスやマクドナルドと同様に観光客が行く場所で、彼らに言わせれば「どんなに安くて便利でも、価値もないものに金を出すのは"間抜けの象徴"」であった。
 また、彼らは「キロメートル・セロ」という運動もしていた。セロとは、スペイン語で"ゼロ"の意で、1q圏内の産地から届く食料以外は信用しないということだ。特別にエコを意識しているわけではなく、「鮮度のいいものがうまいのは当たり前であり、うまいものを選ぶことが当たり前である」というごくシンプルな考え方をしている。そして、うまい魚が食べたくなれば、「海のある街へ行こう、人の車で」となる。
 そう、僕が移り住んだバルセロナの人々は、自分の金を少しでも無駄に使うことを心底嫌っているのだ。その根底にあるのは、やはり「できる限り働きたくない」というラテン民族ならではの気質であり、いかに働かずして楽しく暮らすかに、日々頭のほとんどを使っている、といっても過言ではないほどだ。
 スペインでは「失業した日までの6年間に、失業保険の保険料納付実績が360日以上あること」が、失業保険受給の要件となっており、360日働けば、120日間は失業保険をもらえる。つまり、一日も休まず1年働けば4カ月は遊んで暮らせるのだ。道理で失業率が高いわけである。

 スペインの友人たちは「神戸牛になりたい」と僕によくいってきたものだが、その言葉は彼らのメンタリティを非常によく表していると感じる。「神戸牛のように、ビールばかり飲んで、マッサージされるだけで暮らしていけたら最高だ」と。
 中には、「観光シーズンに2カ月くらいカフェで働き、それからしばらく遊んで暮らす」「金がないときは、観光地の道端で歌のひとつでも歌ってみせれば何とかなる」と公言して憚らない者もいたし、近所に住む顔見知りの中年女性は、きれいな服を着せた愛猫をドイツ人観光客に見せるだけでチップをもらい、けっこうな小遣いを稼いでいたのだから、何とも逞しい話だ。

 僕はスペインで暮らしたこの数年間で、「正しい価値のあるものに、正しい金を払う」という価値観を徹底的に学び、無駄金を使うことは一切なくなった。ブランディングやマーケティングに踊らされ、限定商品を崇め、ホテルのカフェで一杯1500円ものコーヒーを飲む。そんな日本人たち(かつての僕自身)とはまったく違う彼らの生活は、"適正価格"に対する冷静な目を持つことを教えてくれたのだった。
 そして、バブル崩壊のあおりを受け、職を失い、毎日のようにデモ行進が繰り広げられる日常がやって来ても、より一層逞しく、日々の暮らしを楽しみ続けている彼らに、経済危機を生き抜くための新たなヒントを得た。

 もしも多くの日本人が、社会システムに依存することなく、人目を一切気にすることなく、マーケティングや流行にもとらわれることがない暮らしをしはじめたなら、いったいどうなるのだろう。社会に変化が起きるその瞬間は、むしろ新しいチャンスなのだと思う。それはきっと、欲望に振り回されることなく、無理なく楽しく暮らす日々を手にするきっかけとなるだろう。
 たどり着いたその答えの真相を確かめるべく、ここから僕は破綻した国々への取材を始めた。いったい、国家が破綻、もしくは破綻が近づくと、人や街はどうなるのだろうか?バルセロナに住まなければわからなかったことが多いように、破綻を迎えた街に行き、自分の目で見て、その街の人たちの話を直接聞いて、肌で感じてみなければ、わからないことばかりではないのか。いくらニュースや数字だけ見ても、そこに本当に大切なものはないし、その先のことはわからないと、僕は経験上理解していた。


ギリシャで見た、街の惨状と報道の多様性

 ユーロ危機の直撃を受けたギリシャ共和国を取材したのは、その翌年のことだった。
スペインとは比べものにならないほど悲惨な状況に、「いったい、この街はどうなってしまったんだ」と思わず呟きが漏れた。
 首都アテネに一歩足を踏み入れれば、街中の至るところにゴミの山が残され、地下鉄も長引くストライキによってストップしたままの状態だった。観光都市アテネの重要な収入源であるはずのパルテノン神殿も閉鎖されたままだ。国家財政が破綻すれば、公務員に給料を払うこともできなくなり、ゴミの回収をはじめ、それまで提供されていた公共サービスも当然のごとく止まってしまう。そんな現実を目の当たりにし、僕は底知れぬ怖さを感じた。金融危機の余波で銀行のATMがストップするという事態は誰にでも想像がつくだろう。しかし、これまで当たり前だったはずの社会インフラが止まれば、街は一夜にしてゴミ溜め同然になり、地下鉄どころか、水道までも止まってしまう可能性がある。そんなことが、先進国で現実に起こりうるという事実を突きつけられた。
 また、その一方では、哲学と議論の国であるギリシャには100紙以上もの新聞があることや、それらが反政権側、現政権側、市民寄りなど、実にさまざまな論調から多様な見解を発信していることにも驚きを禁じ得なかった。そしてこの後、多くの国を取材していく中でも、日本のように「すべての新聞が、ほぼ同じ論調であり、企業側や体制側に有利な報道しかしていない」という国はほとんどなかった。

 日本に帰るたび、世界各国の報道との間にあまりにも温度差があることを実感する。一元的な報道しかされず、今、世界で何が起きているのか、自分の国で何が起きようとしているのかを正しく知る術もなく、その国内報道だけを根拠に、呑気に構えている国民も少なくはないだろう。
 しかし、世界はもうつながってしまっている。金融システムもインターネットも物流も、すべてがつながってしまっている今、「世界同時不況」が発生する可能性は非常に高い、と世界を回りながら感じる。それは「世紀の世界恐慌」である。そして、各国が危機に瀕している今、いつ、何が引き金となるかもわからない状況にある。

 先に書き記したような、イギリスをはじめとする各国で見てきた光景も、その数カ月前には誰も想像しなかっただろうし、また、同じように数カ月後のことは誰にもわからない。ただ、ある日を境に「世界は突如一変する」ことだけは、確かなのである。


我々がこれからの時代を生き延びるために

 本書は、国家破綻が起きるかどうか、を検証する本ではない。「国家が破綻すると(その多くは経済的問題が理由だ)、いったい、何がどのように変わるのか」を、過去25年にわたって、僕がこの目で見てきたことを、書き記した本である。そして、その要因を探ると同時に、破綻の根底を成している"変わらない人間の欲望"を自戒するための書籍でもある。

 僕は、リーマン・ショックの衝撃をイギリスとアメリカで体感し、その後、移り住んだスペインではユーロ危機を体験したが、振り返れば、1989年、東西の壁の崩壊時 に東ドイツに渡り、その後、ソ連(現ロシア)を回って、1997年のアジア通貨危機の頃には、破綻した韓国の大手商社と締結していた契約が吹き飛び、「経済麻痺状態」 と言われたタイに年に何度も出向きながら、通貨や国家、そして社会システムがボロボロになる様を見てきた。
 僕が生きてきたこの四半世紀に、第三者ながら国家破綻、もしくはそれと同然になるのを目の当たりにしたことが何度もあり、国家システムの崩壊や、社会が大きく揺らぐ様子を幾度となく肌で実感してきた。

 国家は破綻する。もしくは、それに近い状態に陥り、社会が大きく揺らぐ。そして、それは誰もが知る国で確実に起こることなのである。

 ではいったい、そのとき人々はどのような行動に出るのであろうか? あの3・11の東日本大震災のときのように、秩序を保つことのできる素晴らしい日本人でいられるのだろうか? そのとき、自分の預貯金の9割が一瞬にして消えることになったとしても。

  社会システムが揺らぐ事態は、地震によって目の前のビルが崩れ去ることよりも、人々のメンタルに底知れない負の影響を与える。日常的に見える風景は同じはずであるのに、そこに暮らす人間だけが正気を失っていくのだ。冒頭に記したエリート弁護士のように、それまではまともであったはずの隣人や知人が、ある日を境に突如として殺人鬼へと豹変する。その様は、いつもの光景の中で人々が次々と変わっていくゾンビ映画のように恐ろしいものである。
 それは、報道にあるような、ただの犯罪率増加や失業率増加で測れるものではない。ひとつの犯罪が起きたことに変わりはなくても、金も地位も良識もあったはずの人間が、無差別に銃を乱射するまでに狂ってしまうという、異常な出来事が起きるのである。

 日本でいえば、1997年に起きたアジア通貨危機の翌年以降、14年連続で自殺者の数が3万人(世界基準とされる世界保健機関(WHO)の「不審死」を含むカウント方式だと11万人)を超えている。毎年、ひとつの街の人口に匹敵する数の人間が自ら命を断っているこの状況は、日本の人々に何らかの異常が起きているとしか思えない。

「いざそれが起きたとき、あなたはいつもと変わらず冷静でいられるのか?」

 これまでに破綻したさまざまな国家で、そのとき、どんなことが起き、どう生き延び、そして、その原因はいったい何であったのか。本書では、少し堅苦しいが経済問題と歴史をひも解きながら、多くのことを学び、来るべき未来に備えるための一助としてほしいと願う。


高城 剛


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